「なみだふるはな」石牟礼道子

   

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「花や何 ひとそれぞれの 涙のしずくに表われて
咲きいずるなり」

水俣病が発症したのは1950年頃のことである。
今でも発症する人がいるらしい。

国が特別措置法をつくって、裁判をしない、認定申請を下りる
ことを条件に「和解」し、一律210万円あげて、応じたグループ

には「団体加算金」と呼ばれるものを出す。
これを救済と称している。(チッソは国策会社である)

この場合の和解という言い方を、石牟礼道子さんは脅迫のようだ
と言う。

3.11の時も全員をやってはいないが、水俣病は国も県も市も調べ
ようとはしない。

日本はこの手の事に対して歴史をくりかえす役所体質が存在する。
人災が起きてから8年がたったから、被爆量を調べなおすべきである。

放射能というものは、農薬と違い目に見えず、痛くもかゆくもないが
その数値を測ることができる。

その数値はセシウム137で25年かけて半減し、プルトニウムは
23000年かかる。

明治時代から始まった富国強兵は、1960年代から80年代になり日本の
総決算のように、近代化の名のもとに全てを破壊していった。

天災ならば諦めもできるが、人災では諦めではなく憎しみの心がめばえる
だけで、それでも平然としている電力会社が存在することには人間は無力だ。

福島第一原子力発電所から発生したセシウム137は核実験150回分と
いわれる。

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