事件のたびに「絆」や「おもてなし」がマスコミを席巻する。

      2019/08/22

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東日本大震災は戦後、原爆投下に次ぐ出来事であったと
いえます。

自然災害(福島原発事故は人災)に対して太平洋戦争の
結果、原爆を落とされたことは当時の内閣の政治主導部の

極楽とんぼのような国際政治感覚のもとでは、国民はまさに
たまったものではない、広島と長崎で犠牲者が出たことは

74年たった今でも、広島の原爆碑の文言ではすまされない
日本人として忘れてはいけない史上最大の事件なのです。

かたや東日本大震災も阪神大震災も新潟地震も熊本地震も
書き切れないほどの地震国日本の運命は温泉を楽しめて

自然環境を満喫できる以上の、国民の覚悟が必要になる事態で
あると思われます。

この世というものが一体何を礎に存在しているのか、途方に
くれる時があるのは、私だけのことでしょうか。

「小さなことに誠実になりなさい。その中にこそ私たちの力は
あるのですから」マザーテレサの言葉

マザーテレサのような人は大変、生活することに疲れると思い
ます、なぜなら毎朝毎晩小さなことに誠実でいなければならない

からです。
私にはとてもできることでは、ありません。

絆のような道義的なこと、行動とみなされている概念に関しては
「今は考えているより行動してほしい」ほしいという要求が強く

なり、そういう時においては人間の思考は粗野になりがちである
ことから、こういう時こそ腰を据えてじっくり考える必要がある。

つまり震災の時や火山の噴火、原発事故などで犠牲者が出るような
事態では、普通の国ならば略奪、暴行、窃盗などが起きる可能性が

あり、そのような国において絆は通用せず、メディア公共広告機構
などの存在は、多様な国民の発想に対してマイナスにしかならない。

広辞苑においても白川静さんの字通においても「絆」という言葉は
つなぐものの他に「縛る」ものと書いてある。

すべて良いことを意味した言葉ではないことを、人々は知ることに
よって、それを真剣に考える時が来ているのである。

「人間はより大なる危険を恐れているときに、いつもより小さな
危険の中に入りこんでゆく勇気を持つものである。

もし人間が一つの危険を無限に恐れるならば、他のものは全然存在
しないも同然である」キエルケゴール「死に至る病」

 - 禅・哲学