混迷する現代の社会を間違えることなく生きぬく方法とは。

      2019/08/16

DSC05804

DSC07985

聖徳太子1

聖徳太子は用明天皇の次男で574年2月7日生れ、622年死去。
592年史上初の女帝推古天皇の摂政となる。

推古天皇の次が舒明天皇、次が皇極女帝でこの人の皇子が
天智天皇、天武天皇となる。

このあたりの歴史の中には怨霊の存在が強く出ている。
次に登場する怨霊は菅原道真さんのものである。

日本の戦後史では筑豊の炭鉱川筋の「ぼた山」である。
ぼた山の下に眠る、炭鉱爆発事故、囚人労働者、朝鮮連行者

たちの怨念は大変な怨霊の力となって、筑豊から玄界灘へと
はたらいている。

聖徳太子と北陸における親鸞の念仏信仰はふかくつながっている。
大工は聖徳太子を信仰し、船頭は太子とよばれ、日本最古の漢和辞典

「和名類聚抄」には舟の舵を太子と書いてある。
聖徳太子は学究肌の人だが料理、建築、天文学、薬草学の知識を広めた

人である。
聖徳太子の重臣に秦河勝という人間がおり、小野妹子とともに重用した。

秦河勝は京都を開発し、米作り、酒、養蚕を進めたが、その中心地が
「太秦」である。

秦河勝は職人の神様と同時に芸人の神様でもあった。
赤穂の坂越に大避(おおさけ)神社があるが、正面に生島という島が

あり、聖徳太子が亡くなってから秦河勝は流されて生島に着いた。
大避神社は秦河勝が建てた神社である。

その島には船渡御祭の日以外には人が入れない。
そこに生えている樹木も伐ってはならない。

ところが赤穂藩がその島の樹木を伐ったので浅野内匠頭の刃傷事件が
起こったという伝承がある。

秦河勝の長男が大和の長谷川党という武士になって、次男は能楽師
になった。

それが金春流の始まりなのです。
秦氏の三男は四天王寺の雅楽を奏でる楽人になった。

雅楽奏者の東儀秀樹さんは、その子孫にあたる。
能楽は仏教からきている。

室町時代は宗教の時代である。
鎌倉仏教が民衆に広まったのは室町時代になってからだ。

能のシテは万の仏に疎まれた人間である。
それを救うのが阿弥陀如来である。

親鸞が子供のころ平安末期から鎌倉初期にかけて「昔様」というもの
があり、そのあと「今様」が出てきた。

今様は七五調である。
昔様は五七調で、叙景や叙事に向いている。

島崎藤村の「小諸なる 古城のほとり」、しかし恋愛詩になると
「まだ上げ初めし 前髪の」と情感が入って抒情的になる。

抒情的な「あなた変わりは ないですか」都はるみ「北の宿から」は
七五調で今様の流れである。

日本の国は縄文時代の文化が残っていて、それを仏教が変容させて
「山川草木悉皆成仏」という思想を生みだした。

これはインド仏教や中国仏教にはないものである。
インド仏教では衆生の範囲は動物までで、植物は入らない。

「花鳥諷詠」はアニミズムである。
雪月花から始まり、せせらぎ、風鈴の音の涼しさ、虫の音まで幅広い。

ロシア文学もトルストイ、アンドレジッドも宗教文学である。
「カラマーゾフの兄弟」は有神論者の三男と無神論者で神を信じない

イワンの思想を異母弟のスメルジャコフが実行しイワンの父親を殺す。
この小説のあとにロシアで実際に起こったことは、神のない世界の

恐るべき人間の大量殺害であった。
ドストエフスキーは神を信じない世界の恐ろしさを描いたのである。

イワンの思想はレーニンの思想であり、スターリンの思想であって
同時にヒトラーのナチスドイツによる大量殺害で、20世紀の象徴である。

「復讐するは我にあり、我これを報いん」人間は復讐や報復をしては
ならないと言われるが、神が人間の代わりに自分でやるのはゆるされる。

人間ごとき者が偉そうに報復とか復讐をしてはならない。
遠藤周作の小説は裁く神から許す神へ、日本的キリスト教の新しい考え方

を確立しようとした内容にある。
しかし仏は本来人間であり、その重なりが働いたのではないか。

仏教はキリスト教に比べてどこか暗い所が存在するが、しかし徹底して
絶望し、その底から足をふみしめて飛びあがるための悪の自覚を示している。

二十一世紀という時代は例外なしに「悪を自覚する時代」なのである。
悪の傍観者であってはならない、裁かれて罪に問われることになる。

法然が言いだしたが親鸞の専門分野である。
臨終を待つことなしに救われるということである。

「仏の発見」五木寛之、梅原猛対談 学研文庫

 - 人生