宮台真司がフィールドワーク的社会学を研究したのはバブル期。

      2019/08/07

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宮台真司は1959年宮城県生れ。
フィールドワーカーであるが、主に性愛、街場をテーマとした。

90年代の日本の社会を援交やサリン事件などを主体に発言した。
常識といえる「自然的な前提」は社会学の対象にはならないと言った。

テムズ川が夏に凍るような地球規模的寒冷化が起きた後に、18世紀
末フランス革命は成し遂げられた。

そのあと約130年間にわたって、啓蒙思想は意図せざる帰結が展開する
ことになる。

19世紀には反啓蒙思想の時代がやってくる。
エドマンド・バークの「保守主義」バクーニン、クロポトキンの「無政府主義」

マルクスの「共産主義」最期がデュルケムの「社会学主義」となる。
社会学的思考は啓蒙主義的な発想を否定する。

社会学は国家を否定しない中間集団主義である。
日本においては戦後から60年代までの人文社会科学系の思考の特徴は

誰も知らないものに注目することで、典型はレヴィストロースの構造主義
であった。

彼の「親族の基本構造」は複雑に見える親族のルールは、数学の論理を
用いると、一つの構図のバリュエーションとして導出が可能であった。

ノームチョムスキーによる1950年の変形生成文法も同じ発想である。
ジャックラカンは「無意識は言語によって構造化される」と言った。

日本社会は60年代、70年代は挫折する程度には、幸せになることや
オルタナティブに生きることに対する期待が高かった。

その意思が表現や学問に表われていた。
それが80年代に一挙に薄れていくことになる。

それ以降は90年代は不毛であり、2000年に入ると人口減少社会を
さまようことになる。

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