「倩女(せんじょ)離魂、那箇か是れ真底」無門関第三十五則

      2019/08/02

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五祖法演禅師は中国宋代禅界の巨匠であり、達磨五代の五祖弘忍
のいた黄梅山の東山でさかんに禅風を挙揚したので、人呼んで

「五祖山の法演」と言った。
「東山下の暗号密令」と称して、「公案禅」の大成者と目される。

その五祖法演が弟子たちに問うた「お倩は魂が離れて二人になった
というが、いったいどっちが本物か」

唐の伝奇小説「離婚記」に次のような話がある。
時は唐の則天武后の天授三年。

ところは衛州(今の湖南省)に、張鑑という人がいて二人の娘が
いたが、姉は早死にして妹の倩女ひとりを大切に育ててきた。

非常に美しい姑娘で娘一人に婿八人という中から、父親は文官
高等試験に及第した青年を選んで、結婚させようとした。

ところが張鑑の甥に王宙という美青年がいて、倩女とは従兄妹同士
で相愛の仲であった。

二人が幼いとき父親がたわむれに、おまえたちはまるでお雛様の
ようだ、大きくなって結婚したらまことに似合いの夫婦になるだろう。

といった言葉を真に受けて、成長した今はたがいに恋しあうようになり
ひそかに許婚の仲だとばかり思っていたのである。

寝耳に水の結婚話に倩女は怏々として楽しまず、王宙もまた深く伯父
の仕打ちを遺恨に思い、伯父には都に出て科挙の試験を受けると言って

いとまを告げ、倩女には何も言わず夜中ひそかに舟にのってこの地を去った。
夜半になって舟を泊めて休んでいると、誰か岸を走ってくる足音が聞こえる。

それは倩女であった。
王宙は彼女の真心をうれしく思い、二人は抱き合って泣いた。

今更家にも帰れぬとあって、あいたずさえて王宙の故郷の蜀の国に走り
そこで夫婦となった。

五年の歳月がまたたく間に流れて、今は二人の男子の母親となった倩女は
なぜかこの頃しきりに思いに沈んだのである。

王宙に対して「故郷の父母のことが重いおこされる」と泣くのであった。
王宙ももっともなことと思い、二人は舟を雇い衛州へ向かった。

王宙は倩女を船着場に残して、自分ひとり伯父の家を訪ねて不義理をわびた。
張鑑は喜んで甥を迎えたが、一部始終の話しを聞くと実に怪訝な顔で言った。

「おまえの言うお倩とはいったいどこのお倩だ」。
「あなたの娘の倩女です」。

「倩女?お倩はお前が出奔して以来、ずっと病気で物も言わず寝たきりだ」。
「いいえ、五年前に私の後を追いかけてきてくれて、蜀に帰っていっしょに

なり、子供が二人できて、いたって元気です。現に舟で私の首尾を待って
います」と話した。

張鑑も不思議に思って船着場まで使いを出すと、倩女がなつかしそうに
「お父さんはお元気ですか」と声をかけた。

その話にますます分からなくなって、張鑑が病室まで行ってみると
これまた確かに倩女である。

あまりの不思議さにこのことを病室のお倩に話すと、とても喜んで
布団の上に起き上がったが、何も言うことはなかった。

そのうち、舟からおりた倩女が車で帰ってきた。
病中の倩女がこれを迎えに出た。

そして車上の倩女が車から降りたと思ったとたんに、二人の倩女が
一体となった。

その時着ていた着物の柄まで、ぴたりと一つに合ったという。
父親の張鑑は倩女に向かって「おまえは王宙が行ってしまってから

というもの、一言もものを言わず、毎日うつらうつらと酔ったように
していたが、さては魂が離れて王宙のところに行っていたのだな」

と言うと、倩女は「私が家で病気で寝ていたなどとは少しも知りません
でした。あのとき王宙が私にも黙って怒って行ってしまったときいて

その夜夢のような気持で、王宙の舟を追いかけました。夫の王宙と
一緒にいたのが私か、お父さんの家に寝ていたのが私か、私自身

にも分かりません」と言った。
この小説は宋代に「太平広記」の中に収録されている。

那箇か真底か。どっちが本物か?
白隠禅師も「八離透」の公案の一つに入れている。

「無門関」は無門慧開が書いたものである。
公案としては倩女の怪談は必要がなく

われわれは日常、心は二つ身は一つ
われとわが心に迷うことがいくらでもある。

いったい、どっちが本当の自分か?
日常茶飯事から「わが欲する所の善は之をなさず、反って欲せぬ

所の悪は之をなす」
「われ中なる人にては神の律法(おきて)を悦べど、わが肢体の

うちに他の法ありてわが心の法と戦い、われを肢体の中にある罪の
法の下に虜(とりこ)とするを見る。ああわれ悩める人なるかな

この死の体よりわれを救わん者は誰ぞ」
使徒パウロの言葉ロマ書第七章

という宗教的煩悶に至るまで、われわれは自己に誠実であればあるほど
二つのわれの心内の戦いにおいて「那箇か是れ真底?」という衷心よりの

叫びを自分自身の現成(げんじょう)公案…自分自身の現実の問題として
自覚せざるを得ない。

道元禅師は「仏道とは自己を習うなり」と申された。
「即今・此処・自己」禅の修行の眼目はただこの三者の切結ぶ一点にある。

すべての公案はただここ(真仏の在所・ありか、実存の自覚の場)を
直指する。

「これ真底」と自ら真底となっていくことが肝心である。
「那箇是不真底」と「不」の字を加えると、那箇か真底ならざるとなり

真実が見えてくる。

 - 禅・哲学