東京都心は坂の街、「幽霊坂」「潮見坂」ほか沢山ある。

      2019/07/19

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江戸の坂は江戸の民衆によって名付けられたのであるが
中には将軍が命名したと伝えられるものもいくつかあった。

牛込の萸嶺坂は徳川秀忠、湯島の昌平坂は徳川綱吉の命名
だと言われる。

今の牛込若宮町の若宮神社付近に有名な梅林があり、秀忠は
大いに賞賛したが、中国由来の名称である。

雁木坂という名の坂がある。
石を組んだ段々のさかである。

きわめて急な坂のために、階段になっている。
江戸時代から雁木坂として知られる坂は、赤坂霊南南坂町から

麻布谷町へ下る丹後坂がある。
梯子坂も雁木坂同様に石段の坂であるが、東大久保二丁目裏道である。

江戸には上るときの坂の名、胸突坂だけで、下るときの坂の名がない
ものがあり、尻突き坂などと言われた。

男坂(神田明神)に対し女坂はゆるやかな坂で「下り坂帰りに見れば情なし」
「男ざかりの女坂ゆく」などという句もある。

乞食坂というものもある。
良く知られてものでは、日暮里の御殿坂、牛込岩戸町の袖摺坂、四谷の暗闇坂

雑司ヶ谷の小篠坂の四つである。
乞食坂は寺院の多い場所で、寺院の門前は乞食のかせぎ場所であった。

縁日がきまっていて五日が水天宮、七日、十三日は閻魔様、八日、十二日は
薬師様、十日は金毘羅様二十七、八日はお不動様、子日は大黒様、寅の日は

毘沙門様、巳の日は弁天、午の日が稲荷、申の日帝釈天というわけである。
四谷南寺町に乞食坂がある、暗闇坂との呼ばれた。

化粧坂(けわいざか)とは地方に多い坂であった。
江戸の浅草千束町から吉原土手に上る坂を化粧坂と言ったがこれ一つである。

吉原がなくなり化粧坂もなくなった。
鎌倉市扇ケ谷四丁目に化粧坂があり、傾城町であった。

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