「生きるか死ぬか」は切羽詰まった時の決断、「生死」は難解。
2019/07/17
自殺は哲学における中心的な問題の一つです。
実存主義のカミュは「シーシュポスの神話」(新潮文庫)の冒頭で
「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。
自殺ということだ、人生が生きるに値するか否かを判断する
これが哲学の根本問題に答えることなのである」
と書いている。
ひとが死ぬとはどういうことなのか、この問題を哲学的に論じようと
したのが実存主義です。
人はみないつか自分の死に独りで向き合わなければならない。
「自分の死は自分で死ななければならない」
実存主義が繰り返し問うたのは、自殺の是非を含む自分の死との
向き合い方であった。
若者(15歳から34歳)の死因のトップが自殺なのは先進国で唯一
日本だけです。
子どもの時代から青年時代をへて、自殺したいと一度も思った
ことがない人はいないでしょう。
もしまったく考えなかったら、その人の成長過程に何か欠落が
あったと言えるでしょう。
脳死問題において、よく問われることであるが「人間の死生観」
を自分自身で深く考えておくことは重要なことなのです。
自殺も安楽死も脳死の問題も死生観からくる課題です。
ヴィトゲンシュタインが「論理哲学論考」の最後に書いています。
「語りえぬものについては沈黙せねばならぬ」
死後の世界はまさに語りえぬものです。
五木寛之は「大河の一滴」の中で親鸞の思想を
「すべての人は大河の一滴として大きな海に還り
ふたたび蒸発して空に向かうという大きな生命の
物語を信じることにほかならない」と書いている。
生とは何であり、死とは何であるかという問いは
人が生涯追いかけねばならない難問である。