魔法使いに対して、「言葉使い」それが詩人というものです。

      2019/07/09

DSC07965

DSC07526

詩は自立できない。
コルトレーンのジャズも、ティンゲリーの彫刻も、ケネス・アンガーの

フィルムも自立できない。
芸術は自立できないのであり…自立できるのは、まさに人間だけなのである。

一冊の書物のなかで「もうひとつの世界」が自立できると願うのは
いわば詩人の空想というものである。

ことばは肉体を求め、書物は眼と黙約の機会を待つ。
一篇の詩が自立するのは、言語のなかにおいてではなくて、詩人が終わった

ところから読者が始めるという架橋体験のなかにおいてであろう。
「暴力としての言語」

人は一生のうちで一度だけ、誰でも詩人になるものである。
だが、やがて「歌のわかれ」をして詩を捨てる。

そして、詩を捨て損なったものだけがとりのこされて
詩人のままで年老いてゆくのである。

おかしなもので、駅と書くと列車が中心で、停車場と書くと
にんげんが中心という気がする。

批評家というのは、時代に少し遅れていくことで役目を果たすわけです。
あまり早足の批評家では詩人か予言者になってしまいます。

不自由を知るものでないと、自由は語れません。
「家出のすすめ」

数字は何で出来ているのか、岩屋上の鷹も考える。
それは月光にぬれた法則たちのパーティーではない。

不動の定理の戸籍簿でもない。
ひそかなる鬼の暗号なのではないだろうか。
「誰か故郷を想はざる」

 - 言葉・文章