気の利いた「言葉」は良質のワインだ、しみじみと味わいたい。
2019/07/02
「自分たちにしか通じない言葉をもつのが恋人同士である」
ひとは誰でも恋しているときは「裸の王様」になっている。
恋は王様の新しい衣裳のようなものである。
事実と真実はいつも同じではない。
名もないふたりの恋が世界中に名をとどろかせるときには
なにかが復讐にやってくる、歴史とは嫉妬深いものだから。
たいていの場合、結婚するときまっている二人の交際には
恋による真の愉しみがすくないのが普通である。
恋愛には常に不安がつきものでなければならないのに
結婚が決まっている二人には不安よりも未来像が先行するから。
「許された戀」には不安がない。共通の理想にむすばれた若い
男女には、広義の人間的な愛はあっても、恋による哀歓はない。
愛情は虚構です。
つかまえどころがなく、数えることも、測ることもできない。
親が子に寄せる愛、ときには親自身の孤独とエゴイズムから
生れる私有欲であり、子にとって重荷である場合もある。
人間の思慮はいつでも自分勝手だったり、自己中心だったりする。
はかないものなのです。
「作り直しのきかない過去なんてどこにもない」
思い出してはいけない。
ひとは、実際に起こらなかったことを思い出にすることも
できるのだ。
未来の修正はできないが、過去の修正ならばできる。
過去の作り変えによってこそ、現在の呪縛から解放される。