時代を返してみてあの時代10世紀は凄いとしても意味はない。

      2019/07/01

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「このままということ」と書かれた書物がある。
内容は自由とはなにかという問いにはじまるもので

鈴木大拙が自由とは、他から手の出しようのないところだから
ものがその本来から湧き出るようになったところだという。

それは「ただいま」がわかることでもある。
即今だという。

そして「空」というのも即今で、そこへ時間と空間をつなげて
もってくるしかないと書いてある。

たとえば、禅林で「祖師西来意」という有名な公案があるが
ダルマはなぜわざわざ遠い西の方から中国に来たのか。

西も東もどうでも良いのに、なぜ来たのか。
そう問うが

「即今そう言っているお前の心はどこにあるのか」と切り返される。
つまり、お前の即今の気持ちが、たった今ダルマを西から東へ運んだ

じゃないか、そのように時間と空間を移動させたお前は、いまわしの
前にいるじゃないか…そういう意味なんだろう。

そんなふうなことを大拙はとてもわかりやすく説いていた。
この即今が次に「このまま」になる。

自由…空…即今…このまま
という進行であるというよりも、つながりである。

マルクス学と禅学はつながっているのだが、それには「無の場所」論
という共通項がある。

作用は場所であるということだ。
それを物質の運動のほうから見るか、禅のように「無」のほうから

見るか、それがどこかでつながっているのではないかということであった。
禅学は禅より広く、宗派もなくキリスト教も真宗も哲学も入ってくる。

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