「古代人の心象風景」谷川健一、山中智恵子、水原紫苑。

      2019/06/24

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「文字逍遥」巻頭名文。
「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。

遊は絶体の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは
神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき

人もともに遊ぶことができた。神とともにというよりも
神によりてというべきかも知れない。祝祭においてのみ

許される荘厳の虚偽と、秩序をこえた狂気とは、神に近づき
神とともにあることの証であり、またその限られた場に

おける祭祀者の特権である。」
「遊」の漢字とは

人が旗を持って外に出歩くという形である。
その旗は氏族の印で、そこには氏族の神、霊が宿る。

自分が住んでいる本貫の地を離れるときは、異なった神々が
いる世界に入って行くことで、自分の氏族の神の旗印を掲げて

出て歩くのです。
神は本来、普遍的一般的に存在する以前に、氏族神であった。

氏族を守るための神としてあった。氏族神が公道する時は
他の氏族神と出会うということもあるので、必ず氏族の旗を

掲げて外へ出ていく。遊というのは、自分が住んでいる場所から
出行するという意味なので、そういう時に旗を掲げて行くのです。

同時に氏族神である神も時々姿を現わします。
それは遊んでいるような姿で現れてきます。

例えば川上から下りてくる、どこかの森から現れるとか。
だからそれを迎えるお祭りをする。

それがだんだん定例的になってきて、きまった日に神を迎えて祀る。
それが祭りです。

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