人生の意味は「自我」が創造した物語で、書き換えられる。

      2019/05/21

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哲学書を読むことと、禅問答を理解することとどちらが
難解であるか、容易に答えは出てこない。

哲学書の中の名言や警句を「アフォリズム」と
呼ぶらしい。

「彼をあのように優しい夫にし、あのようによく面倒をみる
父親にしているものは…彼が閉じこもった内面で自己自身に

向かってなした自己の弱さの告白なのである」
キェルケゴール「死にいたる病」

男の優しさは、しばしば性格的な弱さの表れにすぎないことが
あり、男も女も以外にそのことに気づかないことが多い。

哲学が「欲望」する存在としての人間についてのよい知恵
として受け取れるようになれば、そこに哲学の真髄がある。

「愛せない場合は、通り過ぎよ」
ニーチェ「ツァラトゥストラはかく語りき」

人間の生は、半分は社会との闘いだが
あとの半分は自分との闘いです。

絶望には二種類あります。
可能性の絶望と自分自身への絶望です。

キェルケゴールは、真の絶望は自分自身について絶望する
ことだと言います。

自分自身に絶望することは
絶望の行き止まりなのだ。

可能性の絶望は、まだ行き止まりではない。
どんなにひどくても。

恋の絶望は可能性の絶望なので、人間性
それ自身を損ねるわけではない。

失恋をして人間を知り、人生を知る
ことがあるからです。

人は何か明確で大きな「生の意味」によって生きているのではなく
日々の小さな可能性が現れるかぎり、それにより生きることができる。

他人自己についての絶望は、自分自身の客観的劣等感からくるものではなく
高すぎる自己理想により、自分の自尊心が自らを過たせており他人から

きたものではないので、自分の理想を修正しなければならない。
キェルケゴールはそう言っています。

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