「孤独」とは言葉と時間のあてどもない追いかけ合いだ。

      2019/05/09

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人間は孤独である時、最も他人を意識する。
時代の転換がことばの価値の大変動をともなうのは

歴史上しばしば見られる現象である。
手近なところでは1945年の敗戦を境にした一時期である。

敗戦の衝撃は人々に強い虚脱感と挫折感を、かつ幾分かの
開放感や安堵感をあたえたが、そうしたうねりのなかで

かつて戦時体制を擁護し叫ばれたことばの群れに、一様に
不信の目が向けられた。

「国体」や「報国」「翼賛」。
これらはファシズムを維持しようとした支配者のことばで

あるとともに、その支配をはねかえせない民衆の心を大なり
小なりゆりうごかした時代のことばでもあった。

「一億総懺悔」とは支配者の戦争責任をうやむやにするところ
の支配者自身がつくり出したことばに他ならない。

「ヨハネの福音書」には
「はじめにことばがあり、ことばは神とともにあり、ことばは

神であった。すべてのものはことばによってつくられ、つくられ
たもののうち、ことばなしにつくられたものはなかった。

ことばのうちには生命があり、生命は人間の光であった。」
「ことば」ことばという言語が神に具体性を持たせている。

「芸術」は独創的なものだという。
しかし独創は「模倣」のうえにしかなりたたない。

伝統の恐ろしさは模倣を強制し可能にするところにある。
伝統を生かすということは、伝統を超える努力において

伝統とふかく交わり、あらたな伝統をつくりだしていく。
戦後の詩人、高野喜久雄の詩

「あれから 二十年 生きることは奪われることだったのか
奪われて奪われて ついには言葉のみになった今

わたしの問いは言葉への問いだった 必敗の問い
だがあくまでもわたしは命じた

言葉のみで 言葉を耐えよ
本当の出会いの意味がわかるまで」

詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば
沈黙するためのことばといってもいい。

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