ギリシャのヘロドトスBC5世紀生れ、司馬遷BC145年生れ。

      2019/01/30

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17世紀オランダの人口は150万人。
アジア貿易を行い国民所得はヨーロッパNO.1であった。

オランダの国土の三分の二は干拓により造られた国有地である。
したがってバブルが起きてもお金は土地には向かわなかった。

「チューリップ」に投機が起きたのである。
1643年から3年、チューリップバブル。

政府は投機を禁じていた。
ギリシャの歴史家ヘロドトスがはるか黒海のかなたのステップに

住む「スキタイ」という生活者を記録した。
遊牧とは牧畜とちがい野生動物が群居する中に人間が入りこむものである。

そしてともに移動していく。
彼らは「馬乳酒」を飲んだ。

この文明に中央アジアを東に走り、BC5世紀前後に「匈奴」として
モンゴル高原に姿をあらわし、やがて世界最強の遊牧国家を形成する。

司馬遷はこの文明を「史記」に書き残した。
匈奴は東方のスキタイである。

文化とは民族であり、文明はそれを超えている。
「バスク語」はウラルアルタイ語族の可能性がある。

北はシベリア、南はモンゴル、満州、ツングース、北アジア、中央アジア
で使われた言葉である。

フィンランド、ハンガリーもウラル語である。
モンゴル語とは遠い親戚にあたり、日本語ともつながっている。

フィンランドの国民の80%は金髪、瞳の色も明るく白人的(アーリア)
特徴を持つ。

それは紀元前後からの混血によるもので、本来はシベリアにいた
モンゴロイドである。

彼らはアジアからスカンジナビア半島に入り、土着のラップ人と
同居した。

ハンガリー人の祖先はマジャール人。
古くはシベリアに住んでいた。

ヨーロッパ(ウクライナの西)に来たのは9世紀で、土着のアーリア人
と混血し、西洋人の顔になった。

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