三大浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」義経千本桜。

      2019/01/11

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1746年に「菅原伝授手習鑑」が初演、1747年に「義経千本桜」
1748年に「仮名手本忠臣蔵」の初演が行われた。

義経千本桜の題材は「平家物語」である。
千本桜とは吉野山に由来する。

義経千本桜の物語は安徳天皇を擁した平家の一門が海中に没した年
1185年の夏、旧暦の六月から始まる。

その舞台は、静御前と佐藤忠信の道行の櫻が満開の吉野山である。
源義経は光輝く観念の櫻なのである。

「判官贔屓」という言葉がある。
これは普通名詞ではなく、「九郎判官義経」のことである。

歌舞伎の「勧進帳」の原作にあたる「安宅」では弁慶に守られて
平泉に下っていく義経を子方が演じる。

人形浄瑠璃とは仏教由来の言葉であり、「薬師如来に、子を授け給え」
と祈った結果生まれた子であるから浄瑠璃御前という形で残った。

義経千本桜という作品は、対平家戦終結以後の源義経の物語である。
平家を壇ノ浦の戦いで滅ぼした義経は、元暦二年の五月に鎌倉に向かう。

しかし頼朝に対面を拒まれ、腰越で弁明の手紙を認めて頼朝に送り
都に戻る、それが六月である。

義経千本桜はここから始まる。
都に戻った義経は後白河法皇の御所に参って、対平家戦の報告をする。

鎌倉から討ち手が夜討ちをかけ、義経は都落ちを決意して淀川を下り
吉野に入る。

義経が平家と戦ったのは、後白河法皇から「平家追討の院宣」を受け
取ったかえあである。

義経は法皇の作戦にまんまと乗ってしまったといえる。
彼は政治のことは何も解らない人間であった。

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