日本の古代史「大化改新」から聖武天皇、桓武天皇まで。

      2019/01/02

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1盧舎那仏

1東大寺

皇極天皇4年(645年)6月、舒明天皇の子中大兄皇子と中臣鎌足
(藤原家の祖)は蘇我入鹿を殺害し、結果蘇我蝦夷も自殺をした。

皇極天皇ははじめ息子の中大兄皇子に位を譲ろうとした。
中臣鎌足は叔父の軽皇子をすすめ即位して孝徳天皇となった。

この推移を「乙巳の変」と言う。
十年後に孝徳天皇が亡くなり、皇極天皇が重祚した。(斉明天皇)

中大兄皇子は皇太子となった。
644年に唐が高句麗を攻めて、日本は百済を介して高句麗と組むか

百済を見放して唐に近ずくかの選択かであった。
日本は250年間の友好国百済に味方をした。

予想外であったのは新羅が唐についたことである。
唐と新羅は百済を攻め滅ぼした。

ここで起きたのが「白村江の戦い(663年)」である。
戦争責任者は中大兄で日本は惨敗を喫した。

661年に中大兄は「天智天皇」となっていた。
667年には近江大津宮に遷都している。

「壬申の乱」は天武元年(672年)に大海人皇子(天武天皇)が
天智天皇の息子大友皇子を倒した。

この事件の背景は天智天皇が大海人皇子を無視して、息子の
大友皇子を太政大臣にしたことで戦いが始まる。

大海人は吉野に身を隠すが、天智天皇の死後、大友皇子を
殺害したものである。

大海人は即位して天武天皇となった。
天武天皇の子が草壁皇子、元明天皇との間に生れたのが文武天皇である。

そしてその子供が平城京を作った「聖武天皇」である。
平安京を作った「桓武天皇」は天智天皇から三代目である。

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