若き日も、暮れる日も風は同様に吹いて、過去とは確かなもの。

   

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童謡「とうりゃんせ」にある天神様の細道のさきにあるものは
冥界であり、行きはよいよい帰りは怖い所、存在はわからない。

キリスト教者は天国に行けるのを信じて信仰するし、浄土真宗
も念仏して浄土に行けると信じている。

しかし見た人はいない。
無の世界かもしれない、信じる人は辛抱強い。

中原中也の「雪の賦」という詩です。
「雪が降るとこのわたくしには、人生が、かなしくもうつくしいものに

憂愁にみちたものに、思へるのであった。
その雪は、中世の、暗いお城の塀にも降り、大高源吾の頃にも降った

幾多々々の孤児の手は、そのためにかじかんで、都会の夕べはそのために
十分悲しくあったのだ」

雪景色はモノトーンの世界であり、そのためにこの世界の時間を
巻き戻して過去のみんなが良かった豊かな時代に移ることができる。

「沙羅のみづ枝に花さけば、かなしき人の目ぞみゆる」
芥川龍之介「相聞」は運命は性格の中にある、と言いました。

この世の中が幸福に満ちあふれ、苦しみや悩みなどまったくなかったら
おそらく、芸術も文学も音楽も現れなかったことでしょう。

「ああ智慧はかかる静かな冬の日に
それはふと思ひがけない時に来る

前触れもなくそれが汝の前に来てかかる時 ささやく言葉に信をおけ
静かな眼 平和な心 その外に何の宝が世にあらう」
三好達治「冬の日」より

「さばかりの事に死ぬるや さばかりの事に生くるや」
石川啄木「我を愛する歌」

生死をかけるほどのことはこの世にはない
命を粗末にしてはならない。

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