歴史上、謀反人ながら天下を取ったのは頼朝、逆は西郷隆盛。

      2018/11/25

DSC06433

ばがぼんど2

平安遷都(794年)以来明治維新で首都が東京になるまで
首都はずっと京都だったのかというと、途中に「福原」が

入り、平安京になる直前11がつ24日まで約半年都がここに
置かれたことがある。

福原は今の神戸にある。
しかし公家や延暦寺から圧力がかかり、京都に遷した。

平清盛最晩年のことである。
清盛はそれ以外にも失策を行った。

それは反平家勢力の拠点南都(奈良)の仏教勢力を12月に討った
ことである。

焼き討ちをしたため創建以来数百年威容を誇った奈良東大寺
の大仏が焼失してしまった。

この暴挙が平家に対する強烈な反感となって現れる。
開けて1181年後白河法皇とは違い、平家に好意的な安徳天皇

の父親の高倉上皇が死ぬ。
そして同年2月4日に清盛は死んでしまう。

その年から2年間、日照り、台風、洪水などの天才が起こり
作物は実らず、翌年は伝染病が流行り4万2300人が亡くなった。

日本という国は「雨年に豊作なく、旱魃に不作なし」という
ことわざがある。

つまり雨が降らないことよりも、お日様が出ないほうが恐ろしい
ことなのである。

「天災などの不幸は為政者の不徳による」という天人相関説
がある。

奈良の大仏様を焼き払えば、天罰でこのくらいの災害は起こる
ということだ。

清盛自身がポックリ死んだのはタタリであろう。

 - 歴史