今から2500年前、「孫子」は書かれた。

      2018/11/15

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謎の「孫子」の存在に終止符を打ったのが1972年中国
山東省銀雀山の漢代の墓から5000枚の竹簡が発見された。

そこに十三篇「孫子」に対応する文献とともに孫ピンに
関わる兵書も出てきた。

つまり孫子も孫ピンも存在した人物である。
これにより中国の古代兵学の研究は進んだ。

「彼を知り己を知れば、百戦して危うからず」
「孫子謀攻篇」

山東省浜州市の恵民では孫子の生まれ故郷と称して街おこしに
力を入れ、そこに孫子を顕彰する孫子故園という施設がある。

そこに元首相李鵬の書による石碑があり、孫子の言葉八文字
が彫りこんである。

なぜか語順は「知彼知己、百戦不危」ではなく「知己知彼、百戦不危」
となっている。

上杉謙信は「義」を尊重した武将として有名である。
上杉家の家老直江兼続も、兜に「愛」の文字を掲げた。

「兵はつかれずして利は全くすべし。此れ謀攻の法なり。」
「孫子謀攻篇」

「暗渡陳倉」と呼ばれる戦術がある。
ひそかに、陳倉に渡ると読む。

敵の注意を他の地点に吹き付けておいて、ひそかに別の
地点で目的を達するという意味である。

前漢の武将韓信の故事である。
敵の虚をつく戦術である。

「兵は詭道なり。」
孫子は戦争の本質をこう指摘した。

「詭道」とはいつわりの方法である。
敵もわが軍に詭道を仕掛けていると考えねばならない。

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