デカルトやヘーゲルの理性中心の西洋哲学は終焉したのか?

      2018/11/13

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複雑怪奇な21世紀の物差しとは何なのだろうか。
脱理性主義の多層的な知とは、「感情」「モノ」

「テクノロジー」「共同性」の四つの知を指す。
数学的に考えるとこれら四つの多項式の解が存在する。

多項知という言葉には、価値観が多様化するなかで
多くの種類の幸せをもたらす「多幸知」の意味も入る。

誰もが同じ種類の幸福を目指すという前提のもと、それを
実現するための知として西洋哲学は発展をとげた。

しかし脱理性の時代にはむしろ多様な幸福を実現できる
多幸知が求められる。

社会をつくる知が変質しようとしている中では、自ずと
やり方は変わってくる。

「私」と社会をむすぶことを考察した公共哲学は、大きな
転換を迎えている。

かつてフランスのルネ・デカルトは「方法序説」の中で
人間と機械人間を対比し次のように言った。

「理性がどんなことに出会っても役立ちうる普遍的な道具
であるのに対して、これらの諸器官は個々の好意のために

それぞれ何か個別的な配置を必要とする」
人間の頭脳が普遍的であるというのは、万能で無限である

ことを意味する。
対し機械は個別の集合にすぎない。

デカルト以来私たちはこのような考えでロボットと
付き合ってきた。

たとえそれが、AIと呼ばれても人間の僕であった。
しかし事情は変わった。

しかし、おかしな考え方である。
AIを作ったのは人間でありAIがAIを作っているわけではない。

神は人間が作ったという考え方と同じことだ。
AIを進化させているのは人間なのだから嫌なら作業を

止めれば良いことである。
2045年に「シンギュラリティ」というAIの知能水準が人間の

知能水準を超えることが言われている。
ロボットが意識を持つとは如何なることなのか。

人間が植物の「光合成」を自ら実現するくらいやっかいな
ことだ。

 - 禅・哲学