1936年6月27日「横尾忠則」兵庫県西脇市に生れる。
2018/11/10
横尾忠則はピカソの生き方はしたいが、ピカソのような
絵はまったく描きたくないと言っている。
ジョルジュ・バタイユはキリスト教と近代的な自我中心
主義の結びつきに命をかけて抵抗した哲学者である。
横尾忠則の傑作は「懐かしい霊魂の会合」と言われる。
横尾忠則は彼岸のまなざしの持ち主である。
彼の作品を狂人の芸術から救っているのは、彼の外部への
関心である。
この諷刺の即物性、世俗に対する残酷な扱いには、彼の
内部世界の濃厚な発条が働いている。
そこには、内部へ内部へと折れ込む狂人の世界とは別に
一つの広大な、嘲笑された世界が横たわっている。
この広野が、彼の作品を最終的に健康なものにしている。
1966年三島由紀夫の発言。
1970年11月25日正午三島は死んだ。
頭の中の言葉は数珠がはじけるように、ひとつひとつ
バラバラに砕けていった。
ぼくの全ての思考はこのように完全に解体してしまった。
ゴーギャンが最晩年に描いた絵に「我々は何処から来たのか
我々は何者なのか、我々は何処へ向かうのか」という作品がある。
エデンの園らしき楽園の中央に木が立っており、旧約聖書ならば
立っているのは「命の木」であり、なっている実は「知恵の実」だ。
有名な「天井桟敷」のポスターを横尾が制作したのは1967年である。
鶴見俊輔は横尾の作品を「限界芸術」と呼んだ。
葛飾北斎を横尾忠則は最も尊敬していた。