抒情散文詩のような小説が纏う「感傷」はシュールなものだ。
2018/10/31

川口松太郎が描いた女たちは、小股が切れあがって
小気味がよく、小才があって小粋である。
「小」の一文字はキイワードである。
この「小」には含羞(はじらい)をこめた女の色気がある。
一歩下がった慎ましさがある。
言わぬは言うにまさる沈黙の美しさがある。
唇噛みしめて辛抱しても、辛抱しきれない、胸の熱い
炎の揺らめきがある。
つまり「小」は、いい女ということなのである。
それはおよそ都合のいい男の夢には違いないが、大正の昔から
変わらないこの国の風土にはそんな女がいるに違いないと
まじめに思うのだ。
「櫓太鼓」の芸者、花香の世界は昭和29年頃だったが東京の町
には焼け跡の匂いが残り、深川にも浅草にも昔の面影はなかった。
花香は国港という相撲取りに惚れた。
不思議なことに二人が一緒に朝を迎えると必ず国港は負けた。
国港は前の年に大関になるまで、女を絶つと成田山に願を
かけていた。
そのことを花香に白状した。
花香は泣いた、そして男が大関になるまでの約束で会うのをやめた。
晴れて大関になり、初日から三日間ぶっ通しで抱き合った。
新大関は見事に三連敗した。
そして花香の姿が柳橋から煙のように消えた。
いい女はいい文章でしか書けない。
川口松太郎の文章の呼吸は師匠の久保田万太郎ゆずりで
絶妙である。