ある感覚をずっと保つ一貫性もその人の思想的達成である。

      2018/10/30

DSC07483

DSC07427

「人間のあらゆる文化は移民の文化である。
あらゆる文学は移民の文学である」と翁久允という人が言った。

あらゆる言語はそんな風にある時、合成されたもので
一つが固まったままずっといられるわけではない。

もともと言葉というものに敏感な人ほど外国語を操ろうと
した時苦労するけれども、最終的には自分の母語を巧みに

操れる人は外国語も巧みである。
鈴木大拙も岡倉天心も見事な英語を書いた。

ジョン万次郎はアメリカで教育を受けて日本に帰ってきた
時彼の日本語は方言だった。

寺山修司も彼を動かしていたのは方言である。
寺山は津軽弁を「金を借りる時に都合がいい、自分の

身の上話をするのに都合がいい言葉」だと言った。
寺山はモダニストにはなりたくなかった。

志賀直哉がバーナードリーチに付いて、「リーチの
日本語はとても語彙が少ない。しかし迫力がある」

と感じたらしい。
語彙の少ない志賀直哉は自信をもった。

表現が豊かなことは、語彙が多いか少ないか
ではない。

母親と息子の関係はダヴィデとゴリアテの関係だ。
母親と息子の関係は50年経っても変わらない。

道徳の原理は母親である。
それに背くのが私だ。

この二つが切り離されることは死ぬまでない。
ドナルドキーンが「戦後日本の影響を受けて

いない作家が出た」と言い。
「安部公房」だと言う。

安部公房の「砂の女」は能の型式である。
500年経つとその伝統を忘れた時に影響を受ける。

 - 禅・哲学