文学における「意識の流れ」という手法は創作上生みだされる。

      2018/10/24

美女7

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一瞬、一瞬、心の中に持ち上がり想起する感情や思考
あるいは取りとめないけれど心を浮き立たす記憶の

断片を、そのまま文章として定着させることはできない
ものだろうか。

淡くまとまりのない、時には夢のようでもあり、また
別の折りには荒れ狂うような奈落の苦しみを、あるいは

抑えようがなく激しく押し寄せるこの感情を、表現として
成立させるにはどうすればよいのだろう。

もしそうしたことが可能であれば、凡庸でありきたりの
日常生活を描いただけの小説とは、まるで異なった作品

が生みだされる。
人の「心」が瞬時のうちに揺れ動き、荒れ狂う様を描きたい。

おそらく「意識の流れ」という手法はこのような作家たちの
創作上の考えの中から生みだされたものなのだろう。

自らの「心」の中には、自分でもとらえきれない、あるいは
言葉によって簡単には表現することができない、「不穏」で

抑えつけることのできない炎のような固まりが存在している
ことを、作家は自覚している。

それは時には、暴力的な衝動のようなものであり、あるいは
悲しみに類似した感情であることもある。

しかしそうした思いにとらわれることは、自分の人生を
危うくする。

心のままに行動することは、世の中の基準を平気で踏み
外してしまうからである。

ある作家たちはそのような背徳的な心の動きを作品として
表すことで、かろうじて精神の均衡を保ってきた。

心理学の仮説によれば、人は通常意識していない
隠された「願望」に支配されているらしい。

「意識の流れ」の手法を用いた代表的な作品は
ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」である。

意識の流れが極限まで推し進められ、言語の解体
に至る。

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