2016年「日清カップヌードル」世界累計販売400億食達成。

      2018/02/28

2カップヌードル

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日清カップヌードルは1971年9月18日誕生以来45周年
70%を世界80か国以上の国で販売しています。

1958年8月25日日清食品「チキンラーメン」が生れチキンラーメン
の生産は爆発的人気により、製造が追いつかなかった。

そのため三菱商事と連携して、大阪府高槻市に5000坪の土地を
手当して工場を作り量産体制を確立しました。

日清食品は売り上げを伸ばし創業5年で43億円となった。
経営基盤を固め1963年10月東証第2部に上場した。

次に社長の安藤百福の考えた事は、即席めんから「カップヌードル」
の開発を成功させることでした。

1970年当時日本の即席めん市場は年間の総需要が36億食で頭打ち
となっていました。

カップヌードルの開発はまず「容器」を作ることから始まりました。
まず最初に発泡スチロールを使おうとしました。

しかし当時魚のトロ箱にしか発泡スチロールは使われていませんでした。
それを2.1ミリの厚さのカップを作ることに成功するには技術が必要です。

専門の製造会社、日清ダートという会社を立ち上げ完成させました。
次に麺の塊を均一に揚げることに成功し、カップのふたにはアルミキャップ

を使ったのです。
もう一つの問題は、カップに麺を収める方法です。

そこで、使ったのは宙づり方式でした。
そして、麺を置いておき上からカップをかぶせたのです。

これで完成です。
この時安藤百福はすでに、61歳になっていました。

1971年に商品発表会を開きました。(一つ100円です)
この時も、問屋は高くて売れないと苦情を言ったのです。

いつでも販売の「玄人」は間違いを犯します。
ホコ天で試食会を開くと人気があり、2万食も売れたのです。

同じ1971年の7月、銀座三越1階に「マクドナルド」日本1号店
がオープンしました。

しかし、相変わらずカップヌードルはスーパーの店頭には
並びませんでした。

流れを変えたのは1972年2月、連合赤軍「浅間山荘事件」です。
極寒の中で、差し入れのおにぎりは凍ってしまいます。

ところがテレビ中継に映されたのは、湯気の上がるカップヌードル
を温かそうに食べている機動隊隊員の姿でした。

この事件の中継放送は視聴率が66%もあってカップヌードル
は日本中に商品名が広まったのです。

その日からカップヌードルは火がついたように、売れ出しました。
そして大ブームとなったのです。

以来、45年間で世界累計販売400億食を突破しました。
61歳でカップヌードルを完成させた百福さんは、2007年96歳で永眠。

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