「人並みの人生」を全うする難しさと、社会の虚無感。

      2018/02/27

1陸別町

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平凡で穏やかに暮らせる「ふつうの人生」こそ最大の幸福
だと、私たちは気づくことが出来たのだろうか。

人間は上を見ることもあるし、下ばかり見てしまうこともある。
日本の法律では、戸籍は国会議事堂に置くこともできるし、

住民票もいざとなれば、親でも親戚でもどこに届けても良い。
セーフテイーネットが掬い取ってくれる寸前で踏みとどまるべきだ。

社会に敗ける必要はないが、勝つ必要もないだろう。
他人の弱さが見える人間は、自分の弱さも咀嚼できるはず。

終戦直後は起業の時代と言われた。
ソニーの創業者井深大さんは、今つぶれかけた東芝の入社試験

を受けて落とされた。
それなら自分で会社を作ると前身の東京通信工業を立ち上げた。

環境は今の方が、終戦直後より格段に良い。
幸せを求めずに人生にトライすることだ。

大事業、大発見を成し遂げた人は、「素人」が多い。
アインシュタインも特許庁に就職した素人である。

この二人に共通していることは目的意識がしっかりして
いる事で、成功願望は薄いことです。

普通人間は、若いときほど楽観的なものです。
歳を取るに従って、社会に揉まれ現実的になるので悲観的になります。

しかし、現代の世の中は若い内から、考えなくても良いことを
考え悲観的になる人がいます。

20代や30代から40年も先の老後のことを考えてどうなるのでしょう。
「時々、急に寂しくなったりしませんか」

これは2008年12月に若くして亡くなった飯島愛さんのブログ投稿です。
昔、芥川龍之介も「漠然とした不安感」を理由に自死しました。

私も仕事は何のためにするのか、20代、30代、40代と5回くらい
憂鬱になるくらい考えました。

20代は楽天的に解決を図りました。
30代はパワハラで病気になり治るまで1年かかりました。

40代になるともう解決しません。
新約聖書は「人はパンのみのて生きるにあらず」あらずと書いてます。

こんな分かり切ったことは、よんでも何の役にも立ちません。
よってキリストの教えは私には使えません。

もう亡くなった哲学者と呼ばれる池田晶子さんは次のような文章を、
「生きるためには、食べねばならない。食べるためには、稼がねば

そのためには、仕事をしなければならない。
しなければならいのが大人がいう生活のことだ。」

彼女は生きることはそれほど楽しい事ではない、と言いたいのだろう。
しかし私が思うに、これは哲学ではありません。

生きることを考えた結果、このぐらいの事を答えにして
哲学者などと言っては日本の哲学はいつまでたっても進歩しません。

精神分析学者のジャック・ラカンは
「自分の無意識とは他者の欲望である」と言いました。

無意識は心の奥の奥にあり、自分の意識が思いもかけないようなもの
しかも恐ろしいものだと言われています。

将棋の羽生永世7冠は無意識は研鑽を積み上げたもので、将棋を指して
長考すると、ふと裏側の世界に無意識に入りそうになり、戻ってこれなく

なりそうになると言っています。
やはり恐ろしい世界なのです。

今回の投稿の結論は、「パンのみにあらず」ではなく、仏教における
「諦観」意味を噛みしめて自分のものにしていく努力が必要だろう。

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