南泉普願の筆頭弟子、趙州の書いた「趙州録」について。

      2018/02/26

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時代は10世紀頃です。
趙州はわずか、18歳で見性(悟る)したと言われます。

趙州は池陽というところで、はじめて南泉和尚に邂逅
しました。

その時の様子が書かれています。
南泉老師が自分の部屋で横になっておられた。

趙州がやって来るのを見ると、すぐ尋ねられた
「どちらから、やって来られたのか」。

趙州が答えて「はい、瑞像院から参りました」
「それじゃ瑞像を見たであろう」「いえ、見ませんでした

が、ゴロリと横になっておられるお釈迦さんは見ました」
すると南泉和尚がむっくり起き上がって言われた。

「お前さんにお師匠さんはおられるかい」。
趙州は、「はい、おられます」。

南泉和尚が「誰がお前のお師匠さんかね」と訊ねると
「まだ初春で寒うございます。お見受けするところ

お元気そうで何よりです」と答えた。
南泉は弟子に命じ「この男を鄭重にお迎えするがいい」と言った。

これが禅僧同士の初めての挨拶というもです。
「挨拶」という語はもともと禅語で相手の心境に探りを入れる意味です。

こうして趙州は南泉の弟子になり、程なくして悟りを開いた
のでした。

師の南泉和尚が亡くなると、3年のあいだ喪に服した趙州は、60歳で
ふたたび水瓶と錫杖をもって行脚に出かけました。

「趙州の再行脚です」。
そして80歳になってようやく、趙州城の東にある観音院を終の住み家

と定め、なんと120歳まで生きたのです。
趙州には有名な公案があります。

ある僧が「犬にも仏性がありますか」と問うた。
すると趙州は「無い」と答えた。

そこで僧が、「お釈迦様は、仏から蟻に至るまですべて仏性があると
教えられたのに、どうして犬には仏性が無いのですか」と問うた。

趙州は答えた「あいつにはそういう業があるからだ」。
別の僧が「犬にも仏性がありますか」と問うた。

すると趙州は「有る」と答えた。
そこで僧が「仏性があるのに、どうしてあのような格好になったのですか」と問う。

趙州は答えた「分かっていて、あえてしているのだ」。
これは趙州の慈悲心というものでしょう。

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