1909年刊行の「邪宗門」に代表される、北原白秋の二つの歌。

      2018/02/11

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北原白秋は1885年(明治18年)1月25日現在の
福岡県柳川市沖端町に生れました。

彼が26歳の時(早熟です)、抒情小曲集「思ひ出」が
発表されています。

明治時代における詩の歴史は、西洋の詩を日本に紹介した
「新体詩抄」が刊行されたのが、1882年(明治15年)です。

白秋が読んだ島崎藤村の「若菜集」は1897年(明治30年)に
刊行されています。

江戸時代に蕪村の詩しか存在しなかった文学ジャンルが
わずか、20年余のあいだに育ってしまったのは驚きです。

藤村は1902年(明治35年)に蕪村の俳体詩を模したと
考えられている、「炉辺」を作りました。

そこから藤村は詩の世界から離れていきます。
そして1905年にあの上田敏の訳詩集「海潮音」が発表されます。

荻原朔太郎や室生犀星も白秋と同じ時代を歩んでいきました。
白秋は1910年頃から神奈川県三崎に住んでいます。

そこで「城ヶ島の雨」が作られました。
「雨はふるふる城ヶ島の磯に、利休鼠の雨が降る。
雨は真珠か、夜明けの霧か、それともわたしの忍び泣き。
舟はゆくゆく通り矢のはなを、濡れて帆あげたぬしの舟。
ええ、舟は櫓でやる、櫓は唄でやる。唄は船頭さんの心意気。
雨はふるふる、日はうす曇る。舟はゆくゆく、帆がかすむ。」

この歌は現在城ヶ島大橋のそばに歌碑が作られています。
60年近く前には小学校5年生の学内旅行には必ず城ヶ島へ行きました。

あと一つの白秋の歌は、「この道」です。
「この道」は「赤い鳥」に載せられ、1926年(大正15年)8月1日

に発行されました。
時代は徐々に軍靴の足音が聞こえています。

「この道はいつか来た道、ああ、そうだよ、あかしやの花が咲いてる。
あの丘はいつか見た丘、ああ、そうだよ、ほら白い時計台だよ。
この道はいつか来た道、ああ、そうだよ、母さんと馬車で行ったよ。
あの雲もいつか見た雲、ああ、そうだよ、山査子の枝も垂れてる。」

この道は、忌まわしい戦争に続く道だったのかもしれません。
「北原白秋」今野真二著参照岩波新書

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