江戸の町は1868年7月詔勅により東京(東国一の都)となる。

      2017/12/28

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「江戸」という地名は鎌倉時代以前から存在し、桓武平氏の子孫である
秩父氏から出た江戸重継が初代で、12世紀に江戸に入りました。

後には頼朝と和解し鎌倉幕府の御家人となります。
室町時代、扇谷上杉家の家老であった太田資長(のちの道灌)が江戸

に入り江戸城を造りました。
そして徳川家康が豊臣秀吉の命により江戸に入るわけです。

室町時代にこの地には平川という暴れ川がありました。
現在は砂防会館のある平河町という名前で残っています。

井の頭池を水源として善福寺川と妙正寺川など武蔵野台地から出る清流が合流して
できた平川は、江戸城そばを流れ一ツ橋から日比谷入り江に注いでいました。 

江戸時代この川はしばし洪水を起こしたので、幕府は仙台藩主伊達綱宗に命じ
放水路を造る工事を行いました。

後楽園から東へいき駿河台を分断し、お茶の水、万世橋、浅草橋から隅田川に
注ぎ、「仙台堀」と呼ばれ、現在の神田川にあたります。

もう一方、小金井の湧水に発する古石神井川のほうは練馬、板橋から王子に
向かい、不忍池やお玉が池など池を作りながら江戸湾に注いでいました。

この川は今の音無川であり、途中急流となったので滝野川と呼ばれました。
江戸の町、現在は「東京」は大阪ほどではありませんが、川の多い町です。

北は荒川、東は江戸川、隅田川でまん中に神田川、南は多摩川です。
今東京のまん中で、かっての江戸の面影を探るツァーの目玉として

遊覧ボートが復活しています。
4つのコースがありますが、その内ひとつは日本橋地区を完全に一周できます。

①日本橋川コース
②日本橋川から隅田川、外濠を経て日本橋に戻る神田川コース
③小名木川コース
④深川コース

すべてのコースが日本橋船着場からの出発となります。
日本橋川コースは江戸の中心部を1時間でめぐり、小名木川コースは物資輸送ルート

深川コースはかっての木場水路を見ることができます。
おすすめの神田川コースは日本橋地区を完全に一周できます。

江戸の区割りは「朱引き」といって市中と市外をの境界線でした。
江戸八百八町といわれるのはこの朱引き内の町数を指します。

明治時代になり東京府は新しい明治朱引きを以下決めました。
東は扇橋川筋、西は麻布、赤坂、四谷、市ヶ谷、牛込、南は品川県境より高輪町

北は小石川伝通院、池之端、上野、浅草寺。
明治になり武士がいなくなったので武家屋敷は空家となりました。

そこで明治2年政府は武家跡地利用として「桑茶政策」を始めます。
代表的輸出品の絹とお茶の増産をしようと考えました。

このうち茶畑は今の渋谷区で大がかりに増産を始めた。
宮益坂の先にある「松濤園」は特に有名で、今も松濤は高級住宅街です。

旧尾張藩の下屋敷があった「戸山」は明治6年陸軍兵学寮を置いた。
市ヶ谷にあった尾張藩の屋敷跡は士官学校ができ、戦後は陸自駐屯地となった。

新宿内藤家の屋敷跡は明治39年、日露戦争勝利記念し「新宿御苑」と
なりました。

明治に入り東京の区制は大きく動きました。
東京市15区制は1932年まで続き、同年に35区制に拡大、町村合併が加速し

東京市の上に東京府が乗って、二重行政の弊害が起きます。
1943年、やっとのことで東京府は「東京都」となり、東京市は廃止された。

区割り制度は当初22区予定であったが、板橋区に編入される石神井、練馬
大泉が工業地区の板橋、志村との地域性格の違いをGHQに区の分離を認めさせ

「練馬区」が誕生し23区制となった訳です。

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