西田幾多郎の「善の研究」と「禅の研鑽」

      2018/02/01

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「善の研究」西田幾多郎著、
上田閑照著「西田幾多郎人間の生涯ということ」参照

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西田幾多郎は1870年石川県生れの哲学者です。
鈴木大拙は同郷の人(四高の同級生)です。

大拙の影響で西田は「禅」に打ち込むようになります。
1911年に「善の研究」を発表しました。

戦前、イマヌエル・カント「純粋理性批判」と並んで
学生の必読書でした。

この哲学書は、人間は過去をひきずりながら目の前の
行動を直観的判断で決断するわけですが、その世界を

見つめることがこの書における「純粋経験」ということです。
その内容は独自の東洋的精神体系を含んだものといえます。

禅と哲学とを一体化した西田の思想は、西田を内面から
引き裂くように、裂け目をはさみ直面します。

この結びつきから純粋経験哲学を内容とする「善の研究」が
生まれるわけです。

「純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明してみたい」
そこに禅が働いています。

すべてを説明することは、哲学の営みです。
しかし「禅」というものは、説明を拒否します。

それまでは基本的命題を純粋経験という所まで遡って
探求することはなかったのです。

しかしながら、禅は西田において哲学の原理に変身し
それによって伝統的な禅の知らなかった説明の世界に

出ることができたのです。
西田の哲学は、その原理の探求において従来の西洋哲学

とは異なった世界に到達することとなった。
西田は1928年京都大学文学部を定年退職します。

晩年の西田は「人生の日々」について禅の言葉で「平常低」
的なることにより、苦しい悲哀の状態の中で対峙していました。

昭和20年5月26日の日記に「九鬼の墓碑を書く」とあります。
九鬼周造は西田の直接の弟子ではありませんが、西田が京都

にいた時に哲学の助手をしていた「天野貞祐」の親友でした。
天野は京大文学部教授に就任しますが、九鬼も迎えられます。

その九鬼周造の墓碑を書いたわけです。
鹿ケ谷の法然院に九鬼の墓地があります。

昭和20年6月7日西田幾多郎は亡くなりました。

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