本日大晦日。絵画的・情景的・客観的俳人「与謝蕪村」を読む。

      2021/01/11

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「与謝蕪村」1716年~1783年松村月渓筆蕪村図

閻王の口や牡丹を吐かんとす 蕪村
白牡丹と言うといへども紅ほのか 虚子

蕪村には牡丹の句が多い。
花は茶色の種子に始まり薄黄、浅黄緑、緑、緑青の茎と葉

をすぎて開花し華麗な色を表現し再び枯れていく。
蕪村論に稲垣足穂の「僕の蕪村手帖」がある。

今日は萩原朔太郎の「与謝蕪村」(岩波文庫)を読む。

君あしたに去りぬ
ゆうべの心千々に何ぞ遥かなる。
君を思うて岡の辺に行きつ遊ぶ。
岡の辺なんぞかく悲しき。

これは蕪村の新体詩である。
まるで100年後の石川啄木のようだ。

朔太郎は俳句は好きでなかったが蕪村は好きだった。
好きな理由は浪漫的で青春性に富んでいるところだという。

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遅き日のつもりて遠き昔かな
菜の花や月は東に日は西に
春風や堤を長うして家遠し

これらの句は万葉集に近い情緒がある。
若い情操の表現です。

しかし芭蕉は趣味としての若さを嫌った。
西行を好み寂しさと静けさを求め枯淡の「さび」を好んだ。

芭蕉は若人ではなく老人である。
だからこそ良くいわれる蕪村における色彩の世界は

排斥されて墨絵の世界となるのです。
芭蕉の名句はみな秋と冬の作が多い。

芭蕉は人生派の詩人であり、蕪村は情景派の詩人である。
そして蕪村は客観的俳人といえます。

日の光今朝や鰯の頭より

正月の句です。
いろは歌留多は東京ではイは「犬も歩けば棒にあたる」

ですが、大阪は「鰯の頭も信心から」で歌留多には
魚の骨から後光がさしている。

易水に根深流るる寒さ哉
根深は葱である。

木枯(こがらし)や何に世渡る家五軒
人恋しさの郷愁を感じさせる句。

冬鶯むかし王維が垣根哉
白梅の明くる夜ばかりとなりにけり

蕪村辞世の句です。
天明3年(1783年)12月25日行年68歳でした。

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