コピーライター「糸井重里さんの40歳からの人生論」
1971年にコピーライターでデビューした糸井重里さん1948年11月10日生れ。
1976年「月刊漫画ガロ」編集長南伸坊さんと出会い、赤瀬川原平さんと親交。
1979年沢田研二「TOKIO」を作詞。
妻は樋口可南子さん(1993年~)
糸井さんは40歳で人生のトンネルに入ったと言う。
西武百貨店「おいしい生活」が1983年コピーで脚光を浴びた。
1950年代サントリーアンクルトリス「トリスを飲んでハワイにいこう」
以来のブームでした。
この時糸井さん35歳、難しい年齢を迎えつつあります。
世の中ここからバブルに向かっていきます。
あの時代、世の中狂っていましたから誰でも自分の人生に疑問を持ちました。
そして「人生のトンネル」に入り苦しむのです。
糸井さんは10年間もがいて50歳で抜けだしたと言います。
私の場合は50歳でトンネルに突入。
60歳で抜けだしました。
実際には20年間もがき続けたような記憶があります。
たぶんこの「トンネル経験」を若いうちにやらなかった人は
60歳以上になってから定年や老齢化により、同じ苦しみを味わう可能性があります。
糸井さんはトンネルを抜けたとき、人生が明るくなったと言っています。
私もトンネルを抜けて楽になりました。
トンネルを抜けて、糸井さんは人生の主人公は自分だと断言しました。
50歳のときに基本的に頼まれ仕事はやらないと決めた。
つまり演出家は自分自身、生きることを演じるのも自分。
「自分の主人は自分」である。
ここに自分を置くと妥協はできなくなります。
糸井さんのモットーは「やさしく、つよく、おもしろく」です。
強さにはきりが無いので、この場合やさしく生きるつよさです。
そして、おもしろいことをやって生きる。
私には「髪」のコンディションを見てくれるアラフォーの先生がいます。
3年前に私は目の手術をして、髪が洗えないので美容院でこの先生に洗って
もらいました。
それ以来の付き合いで二ヶ月に1回行って色々教わります。
この先生はトリートメントは使うな、一回お湯で髪を洗ってシャンプー
を使う量を減らせと指導してくれました。
実はこの人凄いひとなのです。
自分のご主人に「髪結いの亭主」になっていいよと、言いました。
55歳まで必死に働いたら、あとは私があなたを楽しませてあげると言った。
自分の腕に自信があるから言える言葉です。