「フィデル・カストロ」「チェ・ゲバラ」とキューバの歴史

      2017/03/16

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キューバの歴史的出来事は1492年10月27日にコロンブス
により発見されたことから始まる。

1511年にはスペインにより征服されてしまいます。
1840年には世界最大の砂糖生産地となりました。

そして葉巻の販売が自由化され貿易も盛んになります。
キューバ独立の気運が高まるのは1930年頃でした。

1886年に奴隷制度が廃止され、1898年にはスペイン、アメリカ
キューバ戦争が勃発します。

結果はアメリカの圧倒的勝利となり、1898年のパリ条約で
スペインの植民地であったフィリピン、グァム、プエリトルコ

はアメリカの植民地となります。
1902年キューバ共和国は独立を達成。

400年間のスペイン支配から開放されたかに見えたが、事実は
アメリカ支配の始まりでした。

実質的にキューバはアメリカの保護国となってしまいます。
そして1952年からクルヘンシオ・バティスタの独裁が始まる(憲法は停止された)

ここでアメリカのキューバ支配は頂点に達することになります。

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1953年7月26日この状況の克服を目指し
弁護士「フィデル・カストロ」率いる青年たちが蜂起したが失敗。

恩赦を受けたあと、カストロはメキシコに亡命します。
カストロは1926年8月13日生れ、弟は「ラウル・カストロ」1931年生れ。

メキシコでカストロはアルゼンチン人の医師「エルネスト・チェ・ゲバラ」
と出会うことになる。

1956年二人はヨットでキューバに上陸。
1959年1月1日カストロたちはバティスタを国外逃亡に追い込んだ。

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余談ですが、これと同じような逸話が史記に書いてあります。
呉と越の戦いでも敵の王を助けたことを伍子ショは嘆きました。

そして項羽も大事なところで劉邦を助けてしまいます。
なぜか歴史的敗北をしてしまう王は敵を助けます。

1959年革命軍は首都ハバナに入城します。
2月半ばにカストロは首相に就任しました。

革命政権は農地改革法を制定し食糧生産を増強させます。
1960年にソ連と外交関係を結び、政府は石油精製、製糖

電話、銀行などの大企業を国有化しました。
その後1991年ソ連が崩壊すると、キューバ経済は大打撃を受け

たが観光業の推進や各種自由化をすすめ危機を乗り越えました。
そして2015年4月11日パナマで行われた米州首脳会議の会場で

オバマ大統領とラウル・カストロ議長による59年ぶりの
米・キューバ首脳会談が行われました。

国交正常化に向けて歩みを進め、2015年7月1日には両国が
相互に大使館を設置することで合意しました。

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