東洋的思想とニールス・ボーアの「量子論」

      2017/03/03

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頭で解るということはいわば「分割的知性(西洋的なものの見方)」である。
概念的な体系です。

結果生ずる「分別」を禅はことごとく否定します。
産業革命以来の工業化は分割的知性から来ている。

東洋では「主格未分化」つまり無分別の分別です。
座禅をすることは感受する未分性「一なるもの」との出逢いを求めることです。

「一なるもの」とは感覚的世界です。
しかし「一」が分割的知性となってはなりません。

そのために「両行」は重要な足がかりになります。
日本に伝わった仏教は大乗仏教です。

両行とは例えば智恵と慈悲が対等に存在して補完しあう姿のことです。
世界は常に縁起と無常の産物であり、物体や現象は常に両方の見方が可能です。

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この考えはデンマークの物理学者ニールス・ボーア(1885~1962)
が考案した「量子論」に大変似ています。

ボーアによればミクロの世界は「波であり粒子」である。
そこにおいては「存在確率」があります。

アインシュタインは「確率」と聞いて「神はサイコロを振らない」
と反論したのは有名な話です。

ボーアはアインシュタインに「神に注文をつけるな」と反論しました。
思うに20世紀の科学の世界になぜ神を登場させるのか欧米人の思考は不明です。

ボーアは自らの考え方に老子やブッダの思想と共通点を見出しています。
つまり東洋的思想に共感しています。

両行という考え方の原点にルース・ベネディクトが書いた「菊と刀」がある。
1946年に書かれたこの著書の書き出しは

「日本人はアメリカがこれまで国をあげて戦った敵の中で
最も気心の知れない敵であった」

アメリカは大戦初期、日本の研究をしていなかった。
日本は最後までアメリカの戦力志向を調べなかった。

ルース・ベネディクトは「降伏後の日本人」の章で日本人を
「極端に機会主義的な倫理を持つ国民」と書いている。

ルース・ベネディクトの理論は日本には「罪の文化」はなく
「恥の文化」があるといっている。

ルース・ベネディクトは人類学者です。
それにしては的確に日本人の性格を読み取ってはいません。

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