吉田茂著「日本を決定した百年」を終戦記念日に読む

      2021/01/11

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本日1945年の太平洋戦争終戦から71年となる。
1989年ベルリンの壁が無くなり、ソ連とアメリカの冷戦が終了し

誰もが争いが減少すると考えたわけだが、現実は違っていた。
イデオロギーの紛争は減少したが、宗教と民族そして貧困による

テロが27年経った世界に困難な課題を拡散させている。
そこで8月15日ということで、日本の戦後を確認するため吉田茂著

「日本を決定した百年」を読んでみて、吉田茂が終戦当時考えた
ように71年が経過した日本の現在と世界とを考えてみます。

吉田茂は終戦時の東久邇宮内閣(1945年9月)と幣原内閣(同11月)
で外務大臣を務め1946年5月22日に内閣総理大臣に就任しました。

本文に「1945年8月15日、日本は完全に疲れ切って戦闘行為を終えた
1946年の工業生産は戦争が始まった1941年のそれの七分の一に

すぎなかったし、銑鉄の場合は二十分の一しか生産できなかった」
「しかし日本人はその根本において変わってはいなかった。

食料不足に悩まされインフレが進行する悪い条件のなかで、悪賢く
生きる国民は少なく不平を言いながらもほとんどがまじめに働いた」

「そして日本人は基本的に楽天的な国民であった。国民はさまざまな
ことに生きがいを見出し、将来を信じた」

しかしながら1946年5月(首相就任)の現実は食料の配給さえ維持
することが困難になり、この食糧不安は急進過激な撹乱分子の利用

するところとなり、暴力的街頭デモが行われるようになった。
吉田茂が首相になったときは内閣を維持することさえ困難であった。

実際には1947年5月22日に片山哲内閣となり、吉田茂が再び首相に
なったのは1948年10月15日のことである。

そこから1954年12月10日(76歳)まで6年以上首相を務めることになる。
吉田茂は占領軍のアメリカは単なる勝者ではなく、改革者として

日本の軍国主義を生み出した社会構造を変革し非軍事化と民主化を
おし進めていった。と書いている。

民主化のための措置として、軍隊の武装解除、思想警察と政治警察の
廃止、婦人参政権の付与、労働組合の結成を行い教育改革、土地改革

財閥解体、新憲法の制定なども1、2年のうちに行なわれた、それは
まさに無血革命と呼べるような大変化であった。

こうした大きな改革は、だいたい多くの国民の支持を得た。
例えば新しく発布された憲法(1946年11月3日公布、1947年5月3日施行)

は国民によって支持された。
また憲法改正のような変革を人々は好むように受けとった。

戦争を放棄した憲法第九条はその最もよい例で、それが自衛のための
武装も禁止しているかどうかについて、初めから人々の意見は定まら

なかった。
国民は戦前の軍国主義からの反動から憲法第九条を支持したように

思われる。
要するに法律を変え政治体制を修正することは、やさしいがそれを

根付かせることは難しいのである。
そして結局戦後の改革で日本に根付いたものは、日本側に何らかの

基礎があったものであり、それがなく、かつ日本の実情に沿わなかった
ものは独立回復後に変更されたように思われる。

農地改革も日本に根付く理由があった。
吉田茂は根付かないものは、独立回復後変更されてしまうと書いている。

しかしながら独立回復して54年経つが日本国憲法全文は日本を廃墟から
復興させ、高度経済成長後アメリカに次ぐ経済規模の国にした。

吉田茂流に言えば日本国憲法全文はりっぱに日本に根付いたと言える。
戦後日本社会は経済と憲法が結びついて経済が発展した歴史があります。

吉田茂はこの本の中で「第四章・奇跡の経済発展」勤勉と幸運
の章で経済の復興と建設に向かって本格的に動き出すことができたのは

1948年の秋、私が第二次内閣を組織してからである。
食糧危機がわずかに好転をみせ工業生産は傾斜生産方式によりインフレ

は激化したが生産力が回復に向かった。
この頃アメリカとソ連の対立は激しくなり、アメリカの日本に対する

政策も経済的に復興強化し共産主義の浸透を防ぐ方向へ転換した。
そして1951年6月サンフランシスコ講和条約起草時、アチソン国務長官

の顧問に任命されたダレス氏は国際情勢を鑑み講和独立の要件として
日本の再軍備を主張しました。

しかしこの再軍備論に対して私(吉田茂)は正面から反対した。
なぜなら日本は経済的に復興していなかったからです。

この時日本政府は経済自立のために耐乏生活を国民に強いなければ
ならなかった。

そのような時に軍備というような非生産的なものに、巨額の金を使う
ことは日本経済の復興をきわめて遅らせるであろう。

さらに日本が再軍備するとアジアの近隣諸国を刺激するかもしれない。
吉田茂の外交や政治を振り返るとかれは現実主義者であると思える。

(「日本を決定した百年」という著書は1967年6月出版で、ブリタニカ社
の補追年鑑の巻頭論文として高坂正堯氏に吉田茂が代筆を依頼したもの)

この著書の解説が本の最後にありますが、元中央公論編集長の粕谷一希

さんが冒頭「吉田茂は、神が戦後日本のために温存しておいた外交官
だったかもしれない」

としている。

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