長崎県五島列島とマリア信仰の歴史

      2021/01/11

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1五島列島福江島

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日本にやって来てキリスト教(カトリック)を布教させたのは
フランシスコ・ザビエルです。

1550年来訪、豊後の国(大分県)の大友宗麟がザビエルを庇護し
そのとき五島列島にもキリスト教が広まった。

織田信長も南蛮文化に興味を持ちキリスト教を保護しました。
信長にとって浄土真宗(一向宗)は敵であったのでキリスト教を

保護し仏教勢力を抑えこもうとしたわけです。
しかし織田信長はキリスト教徒ではありません。

この時代特にキリスト教が広まったのは九州から近畿地方です。
しかしこの後キリスト教徒に悲劇が待っていました。

1587年豊臣秀吉がバテレン追放令を出します。
1612年江戸幕府は禁教令をしくことに。

家康がキリスト教を禁止したのはキリストが神であるから。
将軍の権威と幕藩体制の維持が困難になることを恐れたからである。

1638年島原・天草一揆がおきて幕府は宗門改め制度を導入「踏み絵」
を開始した。

それを契機に鎖国が始まります。
江戸幕府に異端と見なされた「隠れキリシタン」たちはマリア観音を信仰した。

マリア観音は主に明国から入ってた白磁や青磁の慈母観音です。
この像は子供を抱く姿勢であったので、隠れキリシタンは聖母マリアとして崇拝した。

禁教が終了するのは明治7年(1874年)のことです。
五島列島には約50の教会が点在します。

隠れキリシタンの歴史は少なくとも236年続きました。
1874年禁教がとかれると信者たちは教会を建てました。

五島列島にはもう一つ「十字船団」の母港が浜串港という港にあります。
この十字は十字架です。

アジや鯖をとる船団ですが昭徳丸という漁船には「十字」のマークがあり
船の中にはマリア像が祀られています。

マリア像は海の神です。
海を旅する人と海で生活する人の保護者なのです。

漁師の守り神であるわけです。
マリア様を「海の星の聖母」と呼びます。

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